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こんにちは。
今日は暖かいですねー!

もう、春か?春なのか?
と勘違いして、菜の花も咲いてるし、カメも冬眠から目覚めてうろうろしてます。
香椎は自然がいっぱいです!

少し前ですが、北九州市立美術館分館に行きました。
『ロートレック・コネクション』

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1 posted by (C)カヨ

19世紀末のパリで活躍した、ポスターで有名な画家です。
彼と同じ時代の画家の作品も展示されていました!

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7118 posted by (C)カヨ

100年以上も前に、こんなおしゃれな絵を描いていたなんて、すごいセンス良いですよね!

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6087 posted by (C)カヨ

浮世絵の影響を受けていたそうで、グラフィックデザインの先駆けみたいなタッチです。。。
けど、女性の顔が、なんともブサイク。。。(笑)
モデルから苦情もあったみたいですよ。
わたし、こんな顔じゃないわ!!て感じで。。。

この、『ムーランルージュのラ・グリュ』という作品で一気に有名になったとか。
実際の作品は、高さが2m以上あって圧巻でした!!

L282
L282 posted by (C)カヨ


絵は知っていても、あまり、彼について知らなかったので、少しウィキってみました!

南仏のアルビで生まれる。
ロートレックの生家は、フランスの名家であり、伯爵家である。
父のアルフォンス伯は、奇妙な服装をするな ど、変わり者で有名であった。

ロートレックは、幼少期には「小さな宝石(プティ・ビジュー)」と呼ばれて家中から可愛がられて育ったが、13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時に右の大腿骨をそれぞれ骨折したために脚の発育が停止し、成人した時の身長は152cmに過ぎなかった。
胴体の発育は正常だったが、脚の大きさだけは子供のままの状態であり、現代の医 学者はこの症状を骨粗鬆症や骨形成不全症といった遺伝子疾患と考えている。
脚の不自由だった彼は、しばしば疾走する馬の絵を描いている。

パリに出て、当初はレオン・ボナの画塾で学んだが、まもなくして画塾が閉鎖されたため、モンマルトルにあったフェルナン・コルモンの画塾に移り、以後は晩年まで同地で活動するようになった。
なお、コルモンの画塾ではファン・ゴッホ、エミール・ベルナールらと出会っている。

画家自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感。
パリの「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」をはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、デカダンな生活を送った。そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家であり、「小さき男(プティ・トンム)、偉大なる芸術家(グラン・タルテイスト)」と形容される。

かれのポスターやリトグラフは日本美術から強い影響を受けている。

1901年8月20日にパリを発ち、母のもとへ行き、同年9月9日、マルロメで母に看取られ脳出血で死去した。37歳。。。。


どうやら、夜の町で遊びすぎて、重度のアルコール依存症だったようです。
37才って若いですねー。
もったいない。。。

2月7日まであってますので、小倉見物兼ねていかがでしょう?門司港も近いですし。
福岡じゃないせいか、美術館も人がそんなに多くなくて見やすかったです!

オオイシ
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